介護の仕事

こんばんは。お久しぶりですー^^

 

実は私は3月から高齢者介護の仕事をしています。

 

職場は老人ホームで、

 

私の働いているフロアは非常に認知症のすすんだ方が利用されています。

 

会話のキャッチボールはほぼ不可能です。

 

施設での仕事はタイムスケジュールに追われ、一日中急いでいます。

 

認知症のあらわれ方はひとりひとり違いますが、

 

それに対応する職員には時間的余裕も精神的余裕もないのが現状です。

 

そこが非常に苦しいところです。

 

時に、仕事内容が自分の倫理に反することもあります。

 

しかしそうしなければ、利用者全員の命や安全を守ることができません。

 

利用者のお気持ちを考えると、無力感にさいなまれます。

 

認知症の方は、きっと言葉も通じず文化も全く違う異国に

 

ひとりぼっちでいるような気持ちだと思います。

 

言いたいことが通じない、相手の言ってることもわからない。

 

したいことができない、説明してもわかってもらえず制止される。

 

そんな環境にいたら、不安で寂しくてたまらないでしょう。

 

こわいから、まず人を疑うでしょう。

 

もの取られ妄想などの被害妄想がでてくるのも仕方ないと思います。

 

異国でひとりぼっちでも、普通は人間は慣れていくことができます。

 

また、特定の人と信頼関係を築くことで心がほぐれていきます。

 

ですが認知症の場合、今あったことをすぐに忘れてしまいます。

 

常に、異国に降り立った瞬間なのです。

 

そして、出来事は覚えていなくても味わった悲しみや怒りは心に刻まれています。

 

こんなにもデリケートで無防備な状態にある方のケアの場であるのに、

 

現状の老人ホームはまるで託児所のようです。

 

ききわけのない子を叱り、しつけるように

 

自分よりずっと長く生きてこられた利用者のプライドを傷つけるのです。

 

”できない人”というレッテルを貼り、”できる人”に世話して”もらう”存在に貶めます。

 

私は、利用者の方々を可哀相だと言っているのではありません。

 

介護する側が利用者の尊厳を傷つけているという事実を実感しているのです。

 

介護に使える時間、人手、お金、その他の環境すべてには限りがあります。

 

その中で、いかに利用者に幸せにその人らしく過ごしていただくかということは

 

永遠の課題でありゴールがあるものではないと思います。

 

むしろ、ゴールなどあってはいけないのではないかと思います。

 

人は生きているかぎり、変化し続けます。

 

利用者も介護する側も、とりまく環境も変化します。

 

だから、どんなに最高な方法をみつけたと思っても、それに甘んじてはいけない。

 

経験がものをいう世界だとしても、経験だけに頼ってはいけない。

 

福祉は、理想論を唱えているようでいて実際は、

 

現実をありのまま受け入れる努力をし続けなければならないシビアな分野だと思います。

 

私の仕事は、介護から徐々に制度面の事務や相談援助へと移行していく予定ですが

 

直接の介護を通じて感じたことはこうして言語化するなどして忘れないようにしようと思います。


コメントを残す