私の中の人格たち

こんにちは(^。^)

 

突然ですが、

私の中にはいくつかの人格があります。

 

え?なにそれ、多重人格なの?

というと、おそらく、それより症状は少し軽いと思われます。

 

なぜかというと

一般的に多重人格と呼ばれる症状においては

完全に意識が切り替わるので

文字通り“人が変わる”という印象かと思いますが

私の場合は、周りの人には人格の切り替わりは伝わりません。

 

対人面をひきうけている「意識」は常に一緒なのですが

物の感じ方や考え方、つまり「心の声」が切り替わるのです。

 

 

イメージとしては、

たくさんの人格が「私」というひとつの車に乗っていて、

その都度、運転手を交代しながら

毎日を過ごしている感じ。

 

「意識」は、その車の一番後ろの座席に乗って、

ぼんやりその珍道中を眺めている・・・

そんな感覚です。

 

意識や記憶は繋がっているので

周りには気づかれませんが

気分や感じ方が、

そのとき「私」を運転している人格によって

大きく変化します。

 

(症状の重症度については、正確にはわかりません^^;

診断名でいうと、多重人格は「解離性障害」という大きな括りのなかで

特に「解離性人格障害」とよばれるものです。

私には「解離性障害」の診断名がついていますが、

「解離性人格障害」とは言われていません。)

 

 

 

現実感のなさ=“運転してるのは自分じゃない”という感覚 は

ずっと昔から感じていましたが、

人格=「私」の運転者 が複数いる

という事実には、実はここ数年で気づきました。

 

そして最近、その人格たちの姿は

よりハッキリと感じられるものになっています。

 

具体的には、自分の「心の声」の一人称が変わることで

ハッキリと人格の区別がつきます。

わたし、私、あたし、ぼく、オレ・・・など。

なんとなく、イメージカラーや年齢、性別というものもあります。

 

きっと、「傷ついたある瞬間の自分」が

そのままそれぞれの人格になっているのだろうなぁと思います。

 

それで、今日一番言いたいこと。

それは、今私がどうやって

彼ら(自分の中の人格たち)と向き合っているか、ということ。

 

以前は本当にイヤでした。

彼らは私(=意識)の意図せぬことをするし、

傷つきやすかったり怒りっぽかったり、

私を振り回すから。

非常に、被害的にとらえていたわけですね。

 

ですが、やっと気づいたのです。

彼らは、私を守るために生まれ、

私のために、子どものままでいる。

私のために怒り、悲しみ、行動する。

私のために頑張ってくれてる。

 

今日も「オレ」が、道路でぶつかりそうになった人に

ものすごい怒りを抱きました。

こんなとき、以前の私だと

「こんなことでイライラしてしまう『オレ』がイヤだ、

なんで私の中にこんな部分があるんだろう」と思っていました。

 

でも今は、「私を守ろうとしてくれたんだね、ありがとう」と

「オレ」に声をかけられるようになりました。

「オレ」は、うん、とうなずきます。

すると、怒りはスっと収まってしまいます。

 

「オレ」は、すごく優しくて、責任感が強いんです。

「オレが守らなきゃ」、その気持ちだけで生きている。

必死にがんばって我慢してるお兄ちゃんみたいな子です。

 

ありがとう、私が一緒にいるから、

安心して育ってね。

と、今は私は「オレ」を自分の息子のように

愛しく思っています。

 

今度は私がこの人格たちを守らなければと

心から思うようになって

私は「心の声」に振り回されることがなくなって

代わりに「心の声」と対話するようになりました。

 

「私」の運転者は私(=意識)になり

かわいい子どもたち(=いくつかの人格)は

後部座席で笑ったり怒ったりすねたり

毎日大騒ぎです。

 

彼らは大人になるのか

そうしたら、「私」はどうなるのか

私はずっとこうやって生きていくのか

それは、わかりません。

 

でも今、彼らが私に強さを与えてくれるのは確かです。

 

彼らを守りたい、愛したい、話を聞いてあげたい、そばに居てあげたい、すべて包み込んであげたい。

その想いが、根無し草だった自分の「芯」になってくれる。

ひとりぼっちだった自分の、帰る場所になってくれる。

そんなこともあるのです。

 

短所や生きづらさを

長所だとか強みだとか簡単に言うのは、乱暴かもしれません。

だけど、案外、短所も生きづらさも

自分から自分への

ちょっと不器用な愛の形なのかもしれないと思うのです。

 

さらら


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