愛されてることを受け入れるのは、けっこうつらい。

愛されたい。

そう思うけれど、愛されない。

なによりも、つらいことですね。

だけど、自分に向き合い続けると、ふと気づくことがあります。

「ああ、この人なりに精一杯、愛してくれていたんだ」と。

愛しているなら、こんなことしないでしょう?

愛しているなら、もっとこうしてくれるはずでしょう?

愛しているなら、なぜあのとき、あんなことをしたの…?

愛されない、と感じる理由は、たくさんあると思います。

そう感じたこと、傷ついたこと、

それは紛れもない真実で、

傷ついた時間も自分も、消えることはありません。

だけど、もしかしたら、

相手にとって、それが精一杯の愛だったかもしれない。

悲しいけど、切ないけど、もどかしいけど、

精一杯愛してくれた結果が、今の現実だと気づいたならば

愛されたこと、愛されていることを、

受け入れざるを得ません。

愛されたこと、愛されていることを受け入れるのが、

つらいだなんて、

切ないだなんて、

後悔とやり場のない気持ちの入り交じった複雑な気持ちになるなんて、

なんだかおかしい気がしますが

それを乗り越えたら、

「傷ついたのは、愛されていなかったから」

という悲しい自分のストーリーを書き換えて

またひとつ前に進むことができるのだと思います。

私は、愛されていた。

だけど、そのときは傷ついた。

それらは事実。

そして、今は、これからは、

私はどう生きていくのか。

不条理でも矛盾していても、

事実を丁寧に自分の一部として受け入れて、

これからを生きていくために

少し切ないけど、

愛された、ということを

受け入れてみる段階というのは

生きづらさを乗り越えていく上での

ひとつの過程なのかもしれません。

さらら


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