子どもの頃に、こうやって叱られたかったな。

タイトルではちょっと端折りましたが、

今日は

「ああ、子どもの頃、(叱られるような場面で)大人がこういう態度でいてくれたら嬉しかったなぁ」

と思うことがあったので書き留めておきます〆(._.)

 

はい。突然ですが昨日、私は叱られるようなことをしました!m(_ _)m

とってもやりたくなかった予定をドタキャンしたのです。

 

それで今朝、迷惑をかけた相手(Aさんとします)に謝罪の電話をしました。

 

電話する前、私はAさんに怒られるか責められると思っていました。

Aさんは少なからず私への信用をなくし、私に失望したに違いないと。

ですので、私はAさんに電話する直前まで、どう言い訳しようか!?とばかり考えていました。

それどころか、もし攻撃された時の反撃まで考えたりしていました。

そもそもAさんが○○したから私は行くのが嫌になってドタキャンしたのよ!?と、相手のせいにする小ズルい策を考えていたのです。

嫌な気分でした。その瞬間、私は自分のことが嫌いだったし、謝る相手のAさんのことを敵だとすら思ってました。

 

ですが、実際にAさんに電話してみたら、予想は全くの大外れでした。

Aさんは、一言も私を責めませんでした。

まず、私の事情を聞いてくれました。

「ああ、そう。○○だったの」と、そのまま受け入れてくれたのです。

そして、「もう、びっくりして心配した」「つらかった」と、Aさんの気持ちを話してくれました。

 

この時にはじめて、私はAさんに心から「ごめんなさい」と言いました。

 

Aさんに電話する前に謝罪を「しなきゃいけない」と思っていた理由は、

「Aさんに迷惑をかけたから」「私が無責任なことをしたから」という上辺だけのものでした。

ルールとしてそうしなきゃいけない、だって迷惑をかけるというのは悪いことだから、私に責任があるから、Aさんは被害者だから・・・・

という理論に裏付けされた「ごめんなさい」だったわけです。

それが、Aさんが私の気持ちを聞いてくれて、Aさんも自分の気持ちを話してくれたことで、

「私はAさんを悲しませた、悪いことをしたな。謝りたいな。」と自然に思い、勝手に口から「ごめんなさい」が出てきました。

 

実は私はこれまでの人生でも、心からの「ごめんなさい」が言えないことが悩みでした。

私は冷酷非道な人間なんだろうか、人に迷惑をかけても平気な、無責任な人間なんだろうか。

と、けっこう本気で悩んでいたんですよ(笑)

解離性障害という病気もあって、自分の気持ちを感じにくい症状なのだから仕方ないと思いつつも、やっぱりコンプレックスでした。

 

でも今日、私はAさんに心から「ごめんなさい」を言えました。

私にも、あたたかい血が流れていた!よかった!・゜・(ノД`)・゜・笑

 

とすると?今まで心からの「ごめんなさい」が言えなかった原因はなに・・・????

 

と考えて昔を振り返ると、こう思ったのです。

子どものころ、自然に出てくる心からの「ごめんなさい」を知る前に、

理論に裏付けされた「ごめんなさい」、社会のルールとしての「謝罪」を教え込まれてきたなぁと。

 

「こうしたら人の迷惑です、だから謝りなさい」「お前のせいでこうなった、お前は悪いことをした、だから謝れ」と頭ごなしに怒られるパターンばかりを学習してきたので、

謝らないと叱られる、謝らないと怒りをぶつけられる、謝らないと見捨てられる、謝らないと失望される・・・

という恐怖でいっぱいになってしまう癖がついていたのです。

つまり、本来「相手への思いやり」であるはずの謝罪が、相手から「自分の身を守るため」のものになってしまっていたのです。

これは、大人が指導し子どもが従うという上下関係の弊害とも言えると思います。

 

謝罪の言葉は、心のコミュニケーションの結果として出てくるのが自然な形だと思います。

もしも子どものころに、Aさんのように私の事情をちゃんと聞いてくれて、自分の気持ちを素直に伝えてくれる大人がいたら、

私は「この人を傷つけたから謝りたい」という気持ち「ごめんなさい」が言えるようになっていたのかもしれません。

 

ああ、Aさんのような大人に、子どものころに出会いたかったなぁ(´・ω・`)

今回の体験で、私は本当にそう思いました。

今後、子どもはもちろん人に注意をしたり、不満を伝えたりする場合には、

Aさんに倣って、気持ちを伝え合うことをまず大切にしたいです。

 


コメントを残す