過去を振り返った日記②病名をもらうまで。

 
※闘病中に過去を振り返った時の記事です(ややこしい)
 

 
今現在、私は解離性障害と気分変調症の診断を受けています。
 
 
この診断名、病名というのが、私にとっては強い手札となりました。
 
 
 
手札というといやらしく聞こえますが、
言うなれば社会で生きるための手段です。

社会に病気として認識してもらうことで・・・

まる「なんかよくわからんけど、とりあえずつらいんやな」ということは伝わる
まる休職できる(すぐ辞めなくていい、傷病手当金が受け取れる)
まる病院に通える(人によっては自立支援医療を利用したり、手帳をとったり) etc

といったことができます。

偏見を持たれる、という面も確かにありますが、
(悲しいことに、かなりあるとおもいます)
私にはメリットの方が大きかったです。
これが、手札と言った意味です。

ところが、この病名というのが曲者で。
一筋縄ではもらえないのです、
特に私のように、なんとなく生きづらいっていうタイプの人には。

 

 
 
社会的な発病
 
 
今の会社に正社員として入ってちょうど半年経った頃、
私は1ヶ月くらい無断欠勤をしました。
 
連絡もなしに、いきなり仕事に行かなくなったのです。
 
会社にとっては迷惑極まりない上、私は独り暮らしなので、
何かあったのかと非常に心配されました。

 
しかし、とても連絡できる状況ではありませんでした。
 
日常生活は完全に崩壊していました。
一日中ベッドで過ごしました。
とにかく動けませんでした。
 
 
動く気力がないというより、
動かなければいけない自分、仕事に行かなければいけない自分
遠くに遠くに感じられ、自分のこととして認識できませんでした。
 
調子の悪いときは、今でもそうなります。
この解離(離人症)の症状は、中学生の時にはすでに感じていた記憶があります。
 
 
そんな身動きの取れない状況でしたが、
職場の看護師さんが根気よく連絡をくださって、
職場近くの心療内科受診を勧められました。
 
 
でも・・・
心療内科受診というのは、ちょっとしたトラウマでした。
 
 
 
初めての心療内科
 
 
大学1回生のとき、初めて心療内科を受診しました。
どこを選んだらいいかわからないので、
とりあえず予備校のスクールカウンセラーさんの勤め先のクリニックにしました。
受診の理由は、
学校に行けず勉強が手につかず、バイトも続かず、
毎日ひきこもって、男性に依存する毎日に悩んでいたからでした。
 
今思うと、それは表面的な理由です。
私の声ではなく、周りの声です。
 
 
しかし、私はその時、曖昧な苦しさを、うまく説明することができなかったのです。
 
 
例えば、
現実感のなさや世界をフィルター越しに見ているような感覚というものが、
私にとっては子供の時から当たり前のことだったので、
それがつらいという認識がありませんでした。
そもそも感情が何年も麻痺していて、自分の感じていることを知る術がなかったのです。

実際には、その頃すでに私の生きづらさは頂点に達しており、
毎秒ただ息をしているだけでつらい、現実感など全くない、
本当に藁にもすがりたい状況でした。

 
 
そんな思いを、自覚すらしないまま、私の初受診は淡々と終わりました。
カウンセラーのような方に簡単に話を聞いてもらった後、
医師がうつ病のチェックシートを用いて1分ほどで診断しました。
 
「軽いうつ状態だが、薬はいらないでしょう。」
と。
 
 
 
 
絶望的でした。
 
 
私の苦しみは、社会的に全く理解されないものだと思いました。
 
 
社会から見た私は、ただただ怠け者で、飽き性で、いい加減で、自分勝手で、恩知らずで、自分に甘い人なのだ、と痛感しました。
 

二度目の心療内科

二度目に心療内科を受診したのは、
大学を出たのちに進んだ専門学校時代でした。

私は社会福祉士をとるための勉強をしていましたが、
相変わらず学校を休みがちで、
人と関係を築くのが大きなストレスとなり、
思うように日常生活も勉強も進まず悩んでいました。

そこで、当時住んでいたマンション近くの心療内科に行きました。

結果は、前回と同じでした。

「対人恐怖だろうけどね、若いときはみんなそうだから
年とって経験をつめば自然に治るよ。
お薬は、なるべく飲まないほうがいいから、お薬なしで頑張ろうか?」

がっくり肩を落とし、誰も助けてくれない現実を
受け入れるしかありませんでした。

 
三度目の正直

そんな一度目、二度目の記憶があったので、
心療内科にはあまり期待はしていなかったのですが

三度目の受診の際には、それまでと違った点が2つありました。

それは、

1.病識があったこと

2.職場の看護師さんに、診察室の中まで付き添ってもらったこと

です。

1.病識があったこと

病識というのは、「私は解離性障害の中の、離人症にあたる症状が出ている」という自覚があったということです。

これにより、何がつらいかを説明するときのポイントがわかっていたので、
あっさり診断をもらえました。

逆に言えば、今までも全く同じ症状を抱えてきたにもかかわらず、
ポイントのズレた説明をしていたために医師の判断材料とならなかった
のです。

自覚をもったきっかけは、アダルトチルドレンについて学んだことでした。

社会福祉士の実習のために本を読む中で出会ったのが、
アダルトチルドレンの考え方です。

その中でも、「離人感」というものに私は深く共感し、
自分の感じてきた現実感のなさは、「症状」と呼べるものなのだと気付いたのです。

2.職場の看護師さんに、診察室の中まで付き添ってもらったこと

これも、ある意味では病識と言っていいかもしれません。

私は、他人の前では萎縮してしまい言いたいことを言えない自分に気付いていたのです。

だから、職場の看護師さんに時間をかけてコツコツ話を聞いてもらい、
診察室の中では私の言えないことを代弁してもらいました

これは大きなチカラでした。

自分ひとりでは、いくら病名の見当がついていたところで、十分に状況を伝えることができなかったでしょう。

過去の経験から、
心療内科の医師に対してはすでに「敵」意識がありましたので、
診察室の中で自分に味方がいる、という心強さもありました。

私のように福祉職とか医療職でなければ
職場に看護師さんがいることなんて普通はないし、
いても協力してくれる人なんてなかなかいないだろうし、
身近で真剣に話をきいてくれる、理解しようとしてくれる人に出会えることは、
とても幸運なことだったと思います。

私は自分を助けたくて福祉の道に進みましたが、
(福祉の話はまた今度書きます★)
まさかこんな形で助けてもらうことになるとは、思っていませんでした。

そんなこんなで、やっと病名という手札をゲットした私ですが。
得体の知れない生きづらさにもがき、懸命に糸口を探しているのは、
今も同じです。

でも、こうして振り返ってみると、
五里霧中なように見えても、
着実に環境を整えている自分が見えて、少し安心しますぱすーんぽっ

長くなってしまいましたが、
曖昧なつらさ、生きづらさに悩んでいる方の参考になれば幸いです。


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